1945年以降のベトナム農業の歴史(北部を中心に) ノート

無断転載禁止

 著者注) この原稿は、1993年から1994年にかけて、ベトナム国立経済学院(ハノイ)で1945年以降の農業史を研究するに当たって作成したノートです。いくつか重要な統計を紹介するために未整理のメモをつけたまま公開します。出典は特に記さない限り、Dr.Trinh Thanh Datの資料および「ベトナム農業の45年」(Dr. Chu Van Lam, 『ベトナム経済の45年』経済学院1990年発行所収によります。対象範囲は1945年から1993年までのものですが、その後の現在までの変化はこの時期の政策に起因しており、参考に供します。日本の研究者の文章としては、「ベトナム農業の改革と発展戦略」(出井富美著, 『現在ベトナム経済』勁草書房1992年発行)が最もまとまっていると思われます。その後の農業生産の拡大については当ホームページの農業統計などを参照して下さい。

 1.1945年から1954年

1945年8月革命以前はフランスの植民地支配下にありまた資本主義の発達は十分に見られず封建的生産関係がかなり強く残る
(1) 地主が圧倒的な支配力を持っていた
 人口中 2%の地主 が 52.1%の耕地を所有
 人口中97%の勤労者が 36%  の耕地を所有するのみ
        そのうち 59.2%は耕地を所有せず
 収穫の50%程度が地租とされた
 土地所有の規模は大きいが、資本から見た経営規模は小さく、技術的にも後れていて、投資も分散していた
(2) フランスの支配
 食糧の輸出(国内は飢餓)、1890年から1939年にかけて5億7800万トンの米を輸出
 年平均100万トン以上、最高172万トン(1937年)
(3) 当時の典型的状況
 人口増加率:1931年から1940年 1.34%
 平均寿命:男性 18歳7カ月 女性19歳3カ月
 文盲率:95%
 1945年にはフランスと日本の支配下で200万人が死亡したといわれる(注:これについてははっきりしていないところもある)
(4) インドシナ共産党(後にベトナム労働党に組織変更)は2段階革命綱領を持って反植民地・独立戦争(抗仏戦争)を推進した
1945年9月2日に「独立宣言」をへて誕生した臨時革命政府の政策 (『ヴェトナム農業の45年』から)
スローガン「飢えと戦え」を打ち出す
  1. 『反動的越奸』(ヴェトナム人の反動分子)と仏植民地主義の土地の農民への一時分与
  2. 地租の25%への引き下げ
  3. 人頭税のような反合理的な税の廃止
 この結果1年でかなりの成果をあげた
(5) フランスの再侵略と抗戦中の政策
フランスは、ベトナムへの再上陸を開始し、それに対しホーチミン首班の臨時革命政府は「抗戦しつつ、建国を」のスローガンを掲げた
特徴は、自給自足経済の推進
主な政策としては、
  1. 地租の軽減、そのための省クラスの地租軽減委員会の設置
  2. 地主による農民の土地取り上げ禁止
  3. 革命以前の債務の取り消し
  4. 地租の累進課税(6%から50%)
    貧農5〜10%、中農10〜20%、地主30〜50%
  5. 荒地、フランス植民地主義、逃亡地主の耕地の徴収と貧農への分与
  6. 村の共有地の地主による独占の禁止のための条例作成
革命以前には全農地の58%にのぼったフランス植民地主義政府、地主、富農の土地が貧農に一時的に分与された
1953年12月農地改革法の国会通過
その結果農民は抗戦に積極的に参加(ベトナムでは『農地革命』cach mang ruong datという)

2.1954年から1957年

  1954年(ジュネーブ協定によるフランスの撤退)の時点
自給自足が支配的
総社会的労働の80%以上を農業が占める
国民所得の45%が農業から生み出される
戦争を通じて14万ヘクタールの耕地が荒地化、ほとんどの堤防・治水機構が損傷し20万ヘクタールの土地に治水が行われていない
数十万頭の水牛、牛が死亡、生産手段が深刻な不足
  1955年5月のベトナム民主共和国政府(北部)の政策
  1. 耕地の所有権の保護
  2. 農民と他の階層の財産の保証
  3. 開墾・荒地の再使用の奨励
  4. 再使用は3年免税、新規開墾は5年免税
  5. 収穫期の増加(1期を2期にする)と生産量の増加に対しては税の免除
  6. 人手の雇用、資金の貸借、水牛・牛の貸借の自由化
  7. 互助組形態の奨励
  8. 農村の副業、手工業の奨励
  9. 生計のうまい農民の保護と表彰による奨励
  10. 生産の破壊の厳禁
税率表の改訂 41種類を22種類に削減
1955年末までに農地改革の完了 81万ヘクタールが210万戸農家に分与
  各成分別の1人当り耕地面積 単位:m2/人

階  級

8月革命前

耕地改革前

耕地改革後

地  主

10,093

6,393

738

富  農

3,975

3,345

1,547

中  農

1,372

1,257

1,610

貧  農

421

490

1,437

雇  農

124

262

1,413

他の労働

336

237

403

1954年から1957年にかけてのめざましい成果
荒地化されていた耕地の85%が生産に投入
14の治水・水利が修理
多くの新しい運河体系が建設
堤防補強に3000m3の土を移動
1957年統計と1937年(戦前のもっとも生産の高かった年)との比較
米の生産       240万トン から 395万トンへ
1人当りの平均食糧量 211kg  から 287kgへ
水牛・牛頭数     135万頭  から 210万頭へ
陶器や布織物、胡座織の発展
(Dr.Dat氏の資料より) 同じく比較
食糧生産         57%増
米            53%増
米生産能率        38.8%増
1人当りの平均食糧量   44%増
水牛           39%増
牛            20%増
互助組に関する統計  (Dr.Dat氏の資料より)

互助組

初級合作社

総数(戸)

総戸数 (戸)

全戸数に対する割合(%)

総数 (戸)

平均規模(戸)

面積(ha)

1955

13,059

1094.1

40.5

18

13

7

1956

190,249

1352.0

50.1

37

14

11

1957

100,914

594.6

21.9

45

16

12

3.1958年から60年

問題点 (『ヴェトナム農業の45年』より)
(1) 零細農化 ・・1耕作農家当り0.4ヘクタールのみの農地所有に
(2) 農村の階級分化傾向の出現
(3) 資金不足と耕作の経験不足から土地を手放す傾向、または維持しても低い効率しか持たない傾向の増大が生じた
 これを政府・労働党は合作社化・集団化によって乗り切ろうとした
 しかも急速な低級合作社から高級合作社への移行によって
(経過)(Dr.Dat氏の資料より)
農業における合作社化運動の展開
 目標:農村における社会主義集団所有を実現するための徹底した集団化
 1957年10月 労働党書記局が合作社の試験的実施の総括と北部全体農業の合作社化の拡大計画の会議
 1959年4月 第II期第16中央委会議正式決定:北部全体の農業に合作社化を進める方針
 1960年末 北部農業合作社化の完成 高級合作社4300社

   合作社に関する統計

指  標

単位

58

59

60

農業生産合作社総数

4,823

27,831

40,422

内高級合作社数

29

1,352

4,346

合作社への加入農家戸数

千戸

126.5

1,243.80

2,404

合作社への加入戸数割合

17.7

45.5

85.4

合作社の耕作地割合

4.7

41

68.1

合作社の平均規模(戸数)

26

45

59

合作社の平均規模(ha)

ha

17.4

26.3

33.5

  利点:水利・治水、農地の改良、新品種の投入

1958〜60年平均と1955〜57年比較
 農業総生産価格  24.5%増
 総耕作面積     4.7%増
 豚頭数      41.7%増
 水牛頭数     24.6%増

  弱点:

1960年と58年の比較
 農業の国民所得に占める割合 2.8%減少
 食糧生産量(籾換算)    3% 減少
 米の生産性         1.9%減少

  1959年と60年の北部における農業生産合作社の収入分配の典型的資料

 指     標

単位

1959年

1960年

耕作地1ヘクタール当りの平均総収入

ドン

503

468

総収入中の生産物資購入経費

22.7

25.9

生産物資経費の1ドン当りの効果

ドン

4.35

4.09

1労働日の価格

ドン

1.1

0.86

1年間の社員1農家当りの平均収入

ドン

325

265

この期間に7省の20合作社が解体し、一方5500戸が新たに合作社に参加
実験合作社37社のなかで541戸中226戸(41.7%)が合作社に参加
 うち42.6%が貧農と雇農
初級合作社と高級合作社との比較(59年)
 耕作地1ヘクタール当りの平均収入 (初級合作社)503ドン  (高級合作社)501ドン
 栽培1労働日の収入        (初級合作社)1.62ドン (高級合作社)1.36ドン
初級合作社は、所有と労働に応じた分配を原則とする
 つまり、多くの土地を提供した社員はより多くの利益配分を受け取ることができた
しかし、その後2年ぐらいで高級合作社に移行するのにともない、所有に応じた分配はなくなる
(『ヴェトナム農業の45年』より補足)
 1960年12月までに240万戸の農家が41万4000合作社を設立した
 これは、総戸数の76%、耕地面積の7%を占めた
 この過程で、「自願」(自主的に加入すること)の原則が守られず、合作社の運営もかなりいい加減なものであった。これは、各合作社の指導者が管理能力と生産経験の乏しい貧農・雇農から選ばれたことによっている。
このことは、1959年と比較して、60年に米の生産量が百万トン弱減少し、有機肥料が1ヘクタール当り、7.2トンから5.8トンに減少する結果となった。

4. 1961年から65年 第1次5か年計画 (Dr.Dat氏の資料より)

  1. 合作社管理の改善、技術の改善をすすめ、各農業合作社の強化をめざした
  2. 初級合作社の高級化
    1961年 高級合作社数  8,403社 33.8%(全合作社中)
    1965年   〃    18,560社 76.7%( 〃  )
  3. 1961〜65年の農業への投資状況
    基本建設投資資金           4.9倍
    電気                 9倍
    トラクター             11倍
    耕作地1ヘクタールに対する平均投資  2.1倍
    農業1単位労働に対する平均資金    2倍
  4. 1965年の統計
    平均6合作社に1社がポンプを所有
    平均3合作社に1社が刈取機を所有
    平均10合作社に1社が脱穀機を所有
  5. 1961〜65年の58〜60年に対する耕地1ヘクタール当りの総収入 43.5%増
    〃 〃 農業1単位労働当りの総収入 2倍
  6. 1人当り平均食糧 15kg/月(1962年)
  7. 1964〜65年 生産費用 14%増
     収入    6.5%増
     実質収入は 3.9%増 (『ヴェトナム農業の45年』より)

 各農業合作社における支出と経済的効果

 指   標

単 位

1961

1963

1964

1965

1965 / 1961

1ha育苗・移植の平均支出

ドン/ha

85

128

123

140

164.7%

〃 〃 平均労働

労働/ha

216

354

326

356

164.8%

総収入に対する支出比率

25.5

29.9

30.1

32.8

128.6%

1ドン当りの効果

ドン

4.07

3.24

3.79

3.55

87.2%

分与される労働1日の価格

ドン

0.86

0.67

0.68

0.64

74.2%

・この期の特徴
 5,400の生産性の低い合作社が18%を占める
 山岳地帯では605の合作社が解体してしまった
 ハナムニン(Ha Nam Ninh)省では、5.6%の農民が合作社を脱退
 ハータイ省(Ha Tay)では、3.5%の農民が合作社を脱退

 『ヴェトナム農業の45年』よりの補足

この時期の政府の改革方針
1. 初級合作社から高級合作社への移行を進める
2. 「村」または若干の地区では「社」レベルに規模を拡大する(注:ベトナムの農村の行政機関は「省(tinh)」-「県(huyen)」-「社(xa)」-「村(thon)」として組織されている。「村」は北部紅河デルタではほぼ自然村 Lang に等しいといわれる)
3. 労働、財務、分配に関して管理を改善する
4. 各合作社中の労働と資金の活用および国家の直接的・間接的投資強化による技術的物質的基礎の建設
具体的には、61〜65年
 国家の農業に対する各年の平均投資資金 651百万ドン
 58〜60年に比べて4.9倍になる
 第1次5か年計画中の農業への投資増加率 10%/年
 水利に関しては 32%/年の増加率
 電気 9倍
 トラクター 11.5倍
 国家は新規に投資対象として20万ヘクタールの耕作地を追加、困難な地域に優先的に割り当て。

5.1966年から75年 反米戦争の時期

(1965年米軍の北爆開始によりベトナム戦争はベトナム全土に拡大し、北部の経済も戦時体制に入った。北部も中北部からハノイにかけ頻繁に米空軍機の爆撃を受けた。ベトナム民主共和国の人民軍も南部に軍を派遣し、戦争の最終段階を迎えた。従軍する男性を欠いた北部農村では女性を中心とした合作社が食糧生産を支えた)

 (1) 合作社の規模の拡大

1965年

1975年

 総農家戸数に対する合作社加入農家戸数の割合

90%

97%

 高級合作社の比率

80%

88%

  規  模

「村」

「村」連合または「社」

規模に関しては、1974年平野と丘陵部で15%の合作社が「社」規模
試験的に、「社」連合と「県」規模の合作社(クイン・リュー、ゲ・ティン)も作られた

 (2) 国家による投資状況 1975年と69年の比較

動力装置        7.3倍
末端装置       16.65倍
家畜飼育場面積     1.31倍
倉庫          1.73倍
水利(1955〜57年)に比較して
 (1966〜71年) 4.4倍
 (1972〜75年) 6.06倍
 
米の新品種の投入 1975年までに冬春米の70%を占める

 (3) 社会事業の継続

保育所、保健支所、学校を引き続き建設

 (4) 10年の間に北部農村は戦場に200万の若く健康な労働人口と国防に数千万労働日を供給した

 (5) 生産効率は低迷

1974年の967合作社の調査結果によれば
  2057台中 372台の動力装置は不使用(18%)
  3909台中1043台の末端装置は故障 (26.68%)
  ほとんどの機械は1日6.2時間のみ、1年で91日のみ使用
  1961〜65年に比べて3.6%の耕作面積が減少

(Dr.Dat氏の資料より)

 基礎統計

1961〜65年

1966〜75年

 指  標

単位

数量

平均増加率(%)

数量

平均増加率(%)

食糧生産(籾換算)

千トン

5293

3.45

5290

0.2

育苗・移植面積

千トン

3163

3.25

3073

-0.5

内 米

千トン

2376

1.1

2196

-0.3

国家への納入食糧

千トン

909

5.5

785.5

-3.7

1人当り平均食糧

kg/人

304

-

252.8

 輸入食糧(精米単位)

数量(千トン)

1966

388

1967

853

1968

927

1969

1136

1970

1062

1971

1195

1972

1288

1974

1544

1975

1055

 国家による投資状況 1975年と70年の比較

動力装置   7.3倍
末端装置  16倍
倉庫     1.7倍
乾燥用面積  1.4倍
61〜65年の総収入に対する生産用支出の割合 29.9%
66〜75年の 〃      〃         48.11%

6.1954年から75年  南部の状況

特徴は、農民の有産化
政治的には反共・反動、経済的には富農層の育成として特徴づけられる
1960年第1次農地改革の主要な内容 地主に農地を返還する
1970年農地改革 かなり裕福な中農層の創出、農業生産の発展に積極的効果を与えた
解放区では、150万ヘクタールの耕地を分割した
地主の土地に関しては、3〜5%に地租を制限
富裕化の影響として、1975年までに17万台のトラクター(120万馬力)の使用(主要にメコン・デルタ)があげられる
3百万トン近い化学肥料が使用された
米の新品種が面積の30%
農業関連支出と国家支出

1966

1973

国家支出総額

100.00%

100.00%

国防支出

60.18

56.24

農村建設費

0.09

0.28

耕農省支出

0.63

6.52

  戦争の被害
50万ヘクタール以上の上質の耕作地が荒地化した
百万ヘクタール以上の森が有毒化学物質に汚染された
数十万頭の水牛・牛が死亡した
1956年から63年 毎年20万トンの輸出に停滞・・第2次大戦以前は毎年百万トン以上(南部だけで)輸出していた
1972年は64年に対して120万トンの増加 しかし不十分といえる
1969年までに32.5万トンの輸入、70年には78.76万トン
工業用作物の減少
 (1970年の65年対比面積)
  コーヒー 75%、やし 20%以上、さとうきび 2/3、
 ゴム 南部の主力 ヴェトナム戦争以前は14万ヘクタール 72年8.2万ヘクタールのみ 収穫は2万ヘクタール
    1955〜65年の73,500トンから70年には38,000トンに減少
    輸出の減少は2/3

7.1976年から80年

  北部(農業における生産再組織運動)

1974年タイ・ビン(Thai Binh)農業会議
 内容:大規模化、専門化の方向での分業再編
 目的:農業を社会主義的大規模生産に導く
 合作社(平野部と丘陵部)の規模を全「社」に拡大する
 生産隊は以前の1合作社と同じ「村」単位とする
1979年 北部 4,154合作社が社単位
 内835合作社が耕地700ヘクタール以上を所有
  少数の合作社は 1,000ヘクタール以上を所有
「集体化」(集団化)が徹底して行われた
・専門隊の分担は、耕地、種作り、水利、植物保護に分かれていた
 1977年には3,182専門隊、79年には18,041隊を編成した
・基本隊は全体の管理を担当した
 生産結果に責任を負う
 各農家が自らの耕地を持つ
結果
  再組織化後の1合作社あたり(平野部)の平均(1979年):
  918農家社員、 1,325労働者、 353ヘクタール耕作地
 米の生産性 1980年は76年に比較して1.5ta/ヘクタール減少(taは100kg)

 各  指  標

単 位

300 - 400

401 - 500

500以上

合作社数

141

90

76

1収穫期平均米生産量

100kg/ha

22.1

20.09

18.03

1ha耕作地平均食糧生産量

kg

3,252

2,944

2,731

国家への売却食糧量

kg

838

769

656

1ha耕作地平均総収入

ドン/ha

2,685

2,179

2,055

商品作物価格

ドン/ha

565

511

466

1haあたり平均蓄積額

ドン/ha

132

102

105

以上から、規模が大きいほど生産性が悪いことが分かる
(1976〜86年)
 食糧生産量増加速度 1.65%/年
 人口増加速度    2.25%/年
 1人あたり平均食糧(69年) 291kg → (80年) 214kg

  南部 北部をモデルとする農業改造

1978年より全地方における集団化運動の展開
1年間で8,959生産集団と1,131合作社が新たに結成された
1979年末 64万7500戸(21.1%)が1,286合作社に加入、
1968万6500戸(22.4%)が15,309生産集団に参加
1980年7月1日現在
 1,518合作社 内 高級合作社 1,000
 9,350生産集団(互助組より規模が大きい) (または生産団結組)
 合作社の平均規模 312ヘクタール、 512戸、 1,003労働力
 生産集団 〃    40ヘクタール、  38戸
1980年末に大量の合作社と生産集団が崩壊 → 集団化の失敗
3,739生産集団と137合作社のみ残存、しかし名義上のみ
(注:出井富美『ベトナム農業の改革と発展戦略』によれば、「南部農民が拒否した理由は、まず第一に三請負制が労働点数による労働評価に依拠していることである。各作業毎に労働点数が決められ、労働の質、熟練度は一切考慮されない。また、トラクターなどの機械を使う作業の点数が高く、さらに1日の労働時間は通常8時間であるが耕運労働を担当する農民は1日4時間に短縮される。したがって、土地以外の生産手段が集団化されていない生産集団(初級合作社)のレベルにあっては、土地以外の生産手段を有しているか否かで生産物の分配、労働時間の面で格差が生じることになる。大多数の集団員、つまり貧農、下層中農に不利になることは言うまでもない。」また、政府は、「国家による肥料、殺虫剤の供給制限」などにより合作社への加入を強制したとされる。)

  1976〜80年の時期の全国の農業状況

 各 指 標

単位

76

77

78

79

80

食糧生産量

百万トン

13.49

12.61

12.26

13.98

14.4

内北部

6.41

5.82

6.24

6.29

6

1人あたりの平均食糧

kg/人

274

249

238

266

267

内北部

247

218

234

230

214

国家への納入食糧

千トン

2,000

1,700

1,600

1,600

1,980

1月1人あたりの平均食糧

kg

15.4

12

11.6

11.9

10.4

 

8.1981から89年

生産物請負制がヴィンフー(Vinh Phu)、ハイフォン(Hai Phong)省などいくつかの合作社で密かに進められていた

 (1) 1980年10月22日 共産党書記局第22号通告

 正式に生産物請負制を許可する ただし、1年間米生産で試験をして良好な結果を得ることが条件

 (2) 1981年1月13日  共産党政治局第100号指示

合作社社員である労働者への最終生産物請負の導入:合作社が一定の面積を社員家族に交付する
 社員は1年1収穫期に合作社に納める水利・植物保護・生産量に関して合意する
(注:出井富美 上掲書によれば、「従来の三請負制との決定的な相違点は、」(1)「最終生産物の請負を生産隊から社員に移したこと」(2)「実態的には各農家への請負に転じたことであった。」 さらに、合作社でそれ以前に採用されていた三請負制とは、「三請負制とは、合作社管理委員会が、土地、労働力、生産手段などの条件を考慮して各生産隊に生産量、生産費、労働点数の3つの指標を与え、シーズンないし年間の生産を請け負わす制度である。」)
長所:農民が請負分を超過達成するため一生懸命働く
 結果: 1976年10月と85年1月の比較
 食糧生産性    増加    27%
 米  〃     〃     23.8%
 加工用栽培面積  〃     62.1%
 牛頭数      〃     33.2%
 豚頭数      〃     22%
 国家への食糧納入 〃    100%
 1年あたりの増加率      5%
 1人あたりの食糧平均

1981

1982

1983

1984

1985

kg

273

299

296

303

304

目標(請負)超過達成1984〜85年冬春米(北部)達成92% 超過20%
農業生産価格(1981〜85年で) 増加6%
国民収入 (  〃 ) 〃 5.6%
 
  1981〜85年の段階における国家の農業への投資(『ヴェトナム農業の45年』より)

指 標

単位

1981

1982

1983

1984

1985

農業への国家投資資金(1982年基準)

百万ドン

2,938.90

2,390.20

3,100.50

4,427.10

4,608.50

合作社への長期貸付資金

百万ドン

17.3

41.9

79

129.9

289

化学肥料

百トン

783.5

873.1

1,329.80

1,917.40

1,818.90

農業への電気供給

百万kw

311.2

256

242.8

306.9

308.5

  1981〜85年の段階におけるヴェトナムの農業発展(『ヴェトナム農業の45年』より)

 指 標

単位

1981

1982

1983

1984

1985

81-85年平均の対76-80年比較

農業による国民所得

百万ドン

64,000

70,800

76,220

79,250

83,360

127%

食糧生産量(籾換算)

百万トン

15

16.8

17

17.8

18.2

127

1年間の米生産能率

百kg/ha

21.7

24.7

25

25

28.4

123

単年性工業用植物面積

千ha

415.5

467.5

523

571.9

600.7

162.1

長年性工業用植物面積

260.2

288.3

333.5

403.5

470.3

153

食肉

千トン

567.1

643.4

691.9

715.6

748.6

156.5

国家に供給した食糧

百万トン

2.74

3.15

3.79

3.81

3.91

197

1人あたり食糧平均

kg

273

299

296

303

304

しかし、1986〜87年には農業生産が再び停滞に陥る

 1986年 生産量 18.4百万トン
 1987年  〃  17.5 〃
 1988年頭   食糧危機 9.3百万人が食糧不足
この時の請負制は、3項目について農家を主体と認めたものであった
・育苗 ・移植 ・稲の手入れ ・収穫

 (3) 1988年4月5日 政治局第10号決議

内容は、農業における多ウクラード(セクターまたは成分)の肯定(長期・平等)
  1. 農業生産において各戸農家を自主的単位と認める
  2. 請負期間を5年から15年に延長、ノルマは5年
  3. 労働者を請け負った土地の上での完全な主体とする
  4. 合作社を自主的な組織とし、法人格を持ち、自主管理し、形式、規模、生産方法、経営方式を自ら決める
  5. その職業に優れた者がそれを行う原則にしたがっての分業の奨励
つまり、農民に自主権を拡大する

  結果はめざましい生産の拡大となった

1988〜89年 平均食糧生産量  1.95百万トン増加
 1989年 平均食糧生産量  21.4 百万トン
 1989年の対87年比 〃   3.9 〃 増加
    〃   88年比 〃   1.9 〃 〃
 1989年には初めて米の輸出が可能になった 140万トン

9.総括的資料

 (1) 農民の収入構成

合作社からの収入

家族に付随する収入

実収入/名目

1959

50.2

42.4

100

1960

40.1

49.4

101.9

1961−65

40

51.5

90.9

1966−75

32.1

53.6

77.5

1976−80

28.8

60.8

67.5

1981−85

29.2

65.3

75.4

1986−88

30.3

61.9

78.2


注)合作社からの収入は、総点数制により労働を点数で表し、収穫後それに応じて分配する

家族に付随する収入は(1)家族の持つ「自留地」5% (2)家畜の飼育 (3)その他 および
請負超過達成によるもの
 

 (2) 農業総生産価額 (単位:百万ドン 基準:1989年)

総価額

栽培

畜産

1976

9,041,456.6 (100.00)

7,293,079.7 (80.66)

1,748,376.9 (19.34)

1980

9,800,307.7 (100.00)

7,709,511.7 (78.67)

2,090,795.9 (21.33)

1985

12,450,061.8 (100.00)

9,389,740.6 (75.42)

3,060,321.2 (25.58)

1990

14,889,837.2 (100.00)

11,070,040.8 (74.35)

3,819,796.4 (25.65)

1991

14,873,588.0 (100.00)

11,077,437.0 (74.48)

3,796,151.0 (25.52)

  1976年基準比率表

総価額

栽培

畜産

1976

100.0

100.0

100.0

1980

108.3

105.7

109.6

1985

140.2

132.4

174.1

1990

164.6

151.7

218.5

1991

164.5

151.8

217.1

 

 (3) 農業地面積 (単位:千ヘクタール)

面積

1978

6,953.80

1985

6,492.20

1987

6,914.10

1990

6,993.20

1991

5,048.00

 (4) 農業生産用水利件数 (単位:件数)

1976

2,245

1980

4,141

1985

4,952

1990

5,065

 (5) 農家数と各指標

各 指 標

1976

1980

1985

1990

1991

農家数(千戸)

3,770

7,436

8,315

9,357

9,652

農業人口(千人)

33,723

37,435

41,244

45,421

46,734

農業労働人口(千人)

12,734

14,147

17,594

19,851

20,241

 内国営

137.6

262

407.7

368.6

322.9

国営単位数(ケ)

672

1,219

1,376

793

645

合作社数(社)

15,220

21,956

55,714

30,443

29,820

トラクター数(台)

3,033

24,105

31,620

25,086

28,906

ポンプ数(台)

17,158

197,424

188,631

168,145

191,908

供給電気(百万kw/時)

219.7

259.3

308.5

586.8

801.5

化学肥料(千トン)

193.1

153.2

346.1

401.7

410

 (6) 農業世帯数(地方別構成)

 地域

1976

1980

1985

1990

1991

1993

全国

3,770.60

7,439.50

8,315.20

9,357.10

9,652.00

10,281.1

北部

3,770.60

4,223.30

4,725.20

5,441.70

5,603.90

5,969.1

山岳地方

523.9

582.3

655

799.4

834.7

991.1

丘陵部

503.9

524.4

612.3

741.3

760.9

856.3

紅河デルタ

1,072.70

1,942.10

2,165.00

2,486.40

2,534.20

2,556.1

旧4区(北中部)

1,040.10

1,174.60

1,292.90

1,414.40

1,474.10

1,565.6

南部

---

3,212.20

3,590.00

3,915.40

4,048.10

4,312.0

中部沿岸

---

803.1

868.9

924

956.3

1,020.0

中部高原

---

215.4

263.4

290

320.3

344.6

東南部

---

477.8

484.4

560.1

567.3

618.5

 メコン・デルタ

---

1,715.90

1,973.30

2,138.00

2,201.90

2,328.7

 (7) 各時期の平均

指  標

1976〜80

1981〜88

1989〜92

籾換算食糧生産総量(百万トン)

13.3

17.6

22.2

 内 米生産量  (  〃  )

11

15.2

19.7

1収穫期平均米生産能力(百kg/ha)

20.2

26.6

32.2

1人あたり平均食糧 (kg/人)

254

294

330

 

 (8) 最近の傾向 農村における分化 (1993年時点で)

富裕 10%〜20%
中間 50%〜60%
貧困 10%〜30%
極貧  5%〜10%