日本・ベトナム交流促進センター

1999年1月5日 「ツォイチェ」より仮訳(無断転載禁止)

国境にある女性売買市場

 ベトナムではここ数年、人身売買、主に国境を越えた女性と子供の売買が増えている。この売買の性格は封建時代の奴隷売買となんら変わらない悲惨で暴力的なものである。この犯罪行為を阻止すべく1997年9月17日に政府首相は関係機関に責任を分担し女性と子供の外国への不法な連れ出しを阻止する政策の実施を指示した。しかし、実際には、今日まで女性と子供の売買の阻止はまだ効果を上げていない。クアンニン、ランソン、カオバンなどの国境を持つ省では女性の売買はありきたりの話で、誰も驚いたりはしない。
 1998年末、この記事の筆者は実際にランソンに行き、悲惨な話を見聞きした。

葬式の借金のために売られた女性

 ランソン省ヴァンクアン、ソンザン村タム集落にチュー・ティ・サムという名の8年(小学校からの通算で数える)まで学校に行った23歳の女性がいた。サムの家はとても貧しく、1年のうち4〜5ヶ月は食料が不足していた。本当に何もないときには、森へ行って竹を探し、根を掘り、バナナの花を取って、おかゆを炊く。彼女は長女で、3人の弟と2人の妹がおり、両親とともに家族を支えなければならなかった。彼女はいつも薪を取りに森に入り、木を見つけては担いでタンタイン市場に売りに行っていた。父方の祖父が亡くなった時、習慣により、お金がなかったにもかかわらず、サムの家は十分な埋葬の準備をするために、5サオ(約1700m2)の田を売り、50kgの肉と50kgの米を借りたのである。とうとう、借金を返すために、サムの祖母がサムを売り、彼女の父母に1000元(約13000円)を渡した。売られた彼女は、でも何も知らなかった。ニンミン(中国)に着いたときに、はっとして、そのことに気づいた。しかしすでに遅かった。幸運なことに彼女は、その後逃げ出してベトナムに帰り、女性売買の犯罪に対する証人となった。
 ・写真は中国で結婚するために母親に捨てられランソンの孤児院に入れられた子供たち。

 また、ハノイの女性も騙されて国境に売られた。その女性は、ヴ・ティ・ハイ、ハノイのバーディン区に家がある。ハイは家出をしてランソンに遊びに来て道に迷った。1997年3月29日にハイは、ロクビンのナズオンにあるグェン・ティ・ランという女性の家に着いた。お腹がすいて疲れ果てたので食事を乞うた。ランは可哀想に思って食事を出し、家に5日間泊めてあげた。彼女は両親の名前、年齢、故郷を尋ね、ハイの母親に電話をして連絡をとり迎えに来させた。ハイの母親はとても喜んで、着いたときに、娘は既にいなくなっていた。2人の婦人は驚いて探し回った。周囲の人々に聞いて回った結果、ランの夫−(麻薬)中毒である−がドゥックという輩と結託して密かに、彼女(ラン)がアイディエムに行ったときを利用して、その娘(ハイ)をニンミンに連れて行って売ったのである。そこでは、カムという名の老婆−中国人と結婚したベトナム人−が、ハイを60万ドン(約5000円)!という安い値段で買った。

 ここでは、中国に騙されて売られる女性の非常に多くのケースの中から2例を挙げただけである。さらに、彼女たち自身が、希望を抱いて、または運命を変えようとして、また、こちら(ベトナム国内)の困窮した家族に少しのお金を送ろうという、自分の意思で自らを売り国境を越えて向こうに渡るケースもある。ランソン省コクナム税関長のグエンヒュヴォン氏によれば、国境駐屯部隊は正確にどれだけの女性、子供が中国に売られていったのかを知らない。なぜなら、管理対象の国境線は3kmもあり、その区域に名前のついた中国へ通じる道が10本、名前のない道が数十あり、事務所にはたった20人しか監視員はいないからである。中国側のある資料によれば、中国側は合法的な書類を持たずに中国人と結婚した約2万人のベトナム人女性を送り返すという。しかし、中国が送り返したとしても、ベトナムの警察、税関、国境警備隊は対象となる人々の大半を受け入れられない。なぜなら、合法的な出入国書類を持っていないからである。これらの女性たち−人身売買の犠牲者たち−は騙されて両国の国境を往来したし、これからもするだろう。あたかも、羊の群れのように、ぼろぼろになり、希望をなくし、絶望し、少しのお金も身に付けておらず、服上下だけで、さらに、とても多くの者が、あるいは妊娠し、あるいは将来のない婚姻の結果であった、2〜3人の子供−主に女児である−を連れている。

 そして、現在のように政府の対策が効果をあげていない一方で、上記のような状況は拡大しつつある。もし、中国側の人身購入に対する需要を勘案すると、女性売買市場はこれからも長く開かれるであろう。中国政府のある資料によれば、21世紀の初頭には約8000万から1億の男性が女性人口が少ないことにより相対的に余り、そしてその大半は貧しく、学の乏しい農民である。彼らは、国内の国内の女性と結婚にまつわる様々な儀式をするより、ベトナムの女性を買って妻にするほうが安くつくことに気づく。しかし、何より「男性が余り、女性が足りない」ことから、国内女性が見つけれらず、ますます手に入れられないという事態があるのである。

 −後略−

  ヴォティハオ
 


以下はやはり「ツォイチェ」1999年12月23日に掲載された女性・子供売買に
関する記事の仮訳です。(無断転載禁止)

2015を超える女性と子供の売買犯罪数

 1999年12月21、22日に開催された「女性と子供の売買を防止する」セミナーにおいて、人民警察総局のチュォンヒュクオック総局長の発表によると、1991年から1999年の間に2015件の事件を摘発し、3376人を女性と子供の売買の罪で捕まえた。ベトナム・中国国境上で、この約10年間で22000人以上にのぼる、売買されたり中国人の夫と結婚させられたりした女性と子供を発見した。そして1994年から現在までに騙されて中国に渡った女性や夫の暴力に耐えかねた女性11000人以上が帰国をした。一方、カンボジア国境では、1996年6月に合同調査団がカンボジアの実情を調査した。その際の統計はまだ十分ではないが約1万人のベトナム女性が売春をしている。そのうち、50%は未成年である。さらには、はるかかなたの国でも。。南アフリカ、この国の対外関係局(司法省に属する)は500人以上の売春宿に売られてきたベトナム人女性の名簿を持っていると明らかにした。そのうち、ほとんどは未成年である。

 女性売買犯の大半は、女性(70%〜75%を占める)である。他に、労働サービスや外国観光を行なう会社も人身売買の仲介をしたり、結婚サービス事務所を通して秘密裏に活動をしていた。

タイン・ハ